「昨日はお疲れ様でした!」とLINEが入る。昨夜はかつての同僚と再会し、飲んでいた。続いて「美味かったですね!」メッセージと映え写真がついている。それはステーキ肉の山、丁寧にカットされた断面は鮮やかなピンク、おしゃれ野菜の装飾とともに豪華に大きな皿に盛られていた。
まっったく記憶に無い。4次会だか5次会あたりなんだろうか、2軒目くらいまではいちおう覚えている。若い頃は飲むのも仕事の一環で、毎日ボトルを一気飲み、朝までハシゴもまったく平気だったが、50歳前あたりから記憶を無くすことが一気に増えた。
しっかし、この大皿を注文したのか。。。金額もなかなかなものだろうが、本当に思い出せない。「ちょっと記憶が、、、なくてさ」「お金、、、払ったっけ?」正直に返信した。
さてボチボチ昼から稼働を始める。十数件をこなして夕方頃、とある駅前の古びたマンションへのお届けで、バイクを降りて歩いていたところ、1Fにその店はあった。
それは昨夜大皿の肉をオーダーした、良い雰囲気の料理屋だった。建物が古く、周りはスナックや営業しているかわからない電気店などが並ぶなか、この店だけピッカピカ、開業したばかりでお祝いの花が並んでいるのを見て、はっきりと思い出した。
そしてそうだ、30歳前後の美人若女将と、50歳前後の男性料理人の二人で切り盛りしていたんだ。店長とバイトには見えなかった。夫婦?父と娘?
貸切り状態で盛り上がりながら、この二人ともいろいろな話をした。このときあの歌のフレーズが浮かんだんだ「あんた、あの娘のなんなのさ」。 いや自分が面倒臭い客だった記憶も蘇ってきて、実際に言ってる可能性もあるがそこはどうか忘れたままでいたい。。。
港のヨーコヨコハマヨコスカ(1975年 作詞・作曲:阿木燿子・宇崎竜童)は独創的な楽曲である。酒場の仕事を転々としている「あの娘」とそれを探している男のストーリーである。歌でありながら大半が「店主の語り」で進んでいき、最後のサビだけが歌になるという、この「とってつけたようなサビ」の感覚は、カッコイイ中にもコミカルで思わずクスッとしてしまう。
この歌が出来た背景について、阿木燿子がラジオで言っていた。たしかこんな話だったと思う。
「宇崎からの依頼で歌詞を書いたが、久しぶりだったので文字数などなど作詞のセオリーを忘れて好き勝手に作った。乱雑な詞は、曲にあてはめるのはかなり難解であったはずだが、宇崎は解決策としてあのようなセリフ語りの作品を完成させた」という。
この制作の時点で二人は夫婦であったわけだが、このエピソードには阿木の慎ましさも見え隠れする。本当は渾身の作であったはず、字数も悪くはないし、詞にも天才的な力が見えるが、その才能は差し置いてただ宇崎に敬意を持つ。その後夫妻は長年を経て、いまも音楽活動を続けている。お互いに才能を見い出して引き出しあっていく関係であろう。素敵だね。
そんな二人の作品は他にもたくさんあって、特に黄金期の山口百恵への提供が際立っている。
私の中の第1位は「さよならの向こう側」(1980年)
話が長くなったので一言でまとめたい。 「何故これほど素敵なものが作れるのか!」